2011年11月28日月曜日

TPP―農業お荷物論を考える

毎週日曜に掲載される日経「経済論壇」は中々面白いので小生は愛読している。経済論壇では、その時々の焦点になっている種々の話題について、専門家が論壇に寄せた意見をダイジェスト風にまとめている。現在の執筆者は東大の福田慎一氏である。

昨日27日付けの話題はTPPだった。メインタイトルは「TPPで通商戦略再構築を」である。

読んでいくと「関税撤廃によって打撃を受けることが予想される農業などに対して、一定の配慮を求める声は根強い」という見方がまずとりあげられ、具体的には
東京大学教授の松原隆一郎氏(週刊エコノミスト11月29日号)は、比較劣位にある日本の農業などは、仮に生産性が今後向上したとしても、壊滅的な打撃を受けると指摘。経済効率だけでは社会は成り立たないと述べ、比較劣位でも存在意義がある特定の産業は守るべきだと訴えている。
このように紹介している。

その国で何が比較優位をもつ産業となり、何が比較劣位におかれるかは、へクシャー・オリーン(さらにサムエルソンを加える場合もある)の定理が基本になる。つまり、土地、資本、労働、知的財産などなど、その国に比較的多く蓄積されている経営資源を集中的に使用する産業が、比較優位性をもつというのが結論だ。

理屈からいえば、それぞれの国が最も得意とする産業は違うのが普通だから、まずは各国が最も得意な商品に特化して生産をすれば、世界全体で最大量の商品が供給される。あとはそれを貿易で自由に交換すれば良い。これが<自由貿易>の狙いだ。確かに、あれもこれも、不得意な産業まで含めて各国で生産しようと思うと、非効率な産業にもヒト、カネ、資本を投入しないといけないので、本来得意な産業分野が拡大しない。拡大しないからスケールメリットもいかせない。R&D投資も行われない。そういう結果になる。これは国として損である。これが自由貿易論である。言いかえると、ズバリ<選択と集中>。世界を相手に勝負している民間企業であれば、半ば常識になっているとも言える。つまり、TPPの利益とは自由貿易の利益であり、それは集中の利益にほかならない。比較劣位にある産業を守らなければならないなら、自由貿易のメリットは限定的になろう ― というか、保護権益が政治勢力化し、その果てに堕落する可能性を考えると、あまりプラスになる政策ではない。

日本の国家戦略としてTPPを眺めてみると、それは農業からの<撤退戦略>である。日本の農業が縮小すれば、外国への食糧需要は増加する。だから外国は農業を拡大する。外国では資源が非農業から農業にシフトする。その分、外国では非農業、たとえば製造業は縮小する。それは日本が拡大したい非農業にとってメリットになるだろう。<選択と集中>の背後で進めるべき<撤退戦略>と同じロジックである。

× × ×

ここまで日本の農業は比較劣位にあると決めつけて書いてきた。日本の農業は比較劣位産業なのだろうか?

この20年間で製造業の商品は世界市場でずいぶん割安になった。だから日本にも海外の製品が目立って輸入されている。製造業の価格が、農業生産物の価格に対して、もし日本の方が世界市場よりも割高であるのなら、日本は製造業に比較優位をもってはいない。

世界市場でいま進行中の現象は、資源高と製品安、食料高と製品安、サービス高と製品安である。確かに日本の製造業は日本株式会社のコア・コンピタンスであり続けた。しかし、今後もずっとこれまでどおりのスピードで、日本の製造業は効率性を上げていけるのか?中国の農業生産性が停滞し、中国の製造業が効率化しただけで、中国は日本に対して製造業の比較優位をもつだろう。比較優位とは絶対優位とは違う。どちらの国の生産性が高いかではない。それぞれの国で進む生産性向上レースの順位と産業間格差が大事なのだ。中国の製造業が彼の国で大勝ちすれば、日本の製造業が絶対的な効率性ではトップを維持しながら、農業に僅差で勝っても、日本の製造業の比較優位は失われるのだ。比較優位とは、周辺国の結果次第で、変わってくる。ここが勘どころだ。

芸術品のように鍛え抜かれた日本の国内製造業をこれ以上磨き上げることができるのか?これに反して、戦後日本政府の無策とも言える農業政策が「幸いして」、日本の農業は「泥だらけ」だ。今後将来にかけて期待できる生産性の向上は大きいとみるべきだ。だとすれば、日本の比較優位を製造業が占めると断言するのは、時機尚早というか、少なくとも将来の貿易競争で製造業が不動の四番バッターだと思いこむのはやめたほうがいい。

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