2011年10月3日月曜日

世論調査 ― サンプリング誤差を報道しているなら、即ち誤報である

今朝の北海道新聞のトップニュースは、何と共同通信社実施の世論調査である。まさか、世論調査が地方とはいえ有数の大新聞のトップを飾るとはねえ・・・報道するに値する事実は何だと、デスクは認識しているのであろうか?



世論調査については、小生の仕事柄、本ブログで何度もとりあげてきた。で、全くの出鱈目と考える根拠はなく、ランダム標本の回答が示す傾向は、一部の有識者の意見などにある意図的なバイアスから免れている、ある意味で社会全体の認識を知る目安として、十分有用な情報になる。こんな趣旨のことを書いてきた。

しかし、世論調査は通常は電話調査である。質問の仕方が回答者に影響を与える余地がある。ランダム標本とは言っても、電話が通じなかった場合の取り扱い、回答を保留した被回答者の取り扱い等々、実はデータ収集過程でいろいろと詰めなければならない問題箇所は多い。集めたデータから直ちに統計分析に進むのは、意図的なら<統計のウソ>、故意でないなら<データの罠>に陥る危ないルートであることは、この分野で仕事をしているなら周知のことだ。

世論調査は、通常は1000強のサンプルをとっていると思うのだが、データの品質について十分自信があるのだろうか?ほとんど同じ時点に異なったマスメディアが実施した世論調査で同じ質問に対して相当異なる結果が示されたこともあった。本ブログでも、そのことは記したが、「まあ、その程度と思って結果を参考にしていけばよい」というには、今日の道新は余りにもバランスを失った報道ぶりであるなあ、と。

ランダム標本の結果には誤差が含まれている。大体、支持率が社会全体で50%で拮抗している場合、1000世帯のサンプルの結果なら、1.6%位の標準誤差がある。故に、確率95%まで誤差の発生を考慮して、3%ちょっとまでは誤差の範囲と考えるのが常識だ。ということは、53%から47%まで数字が低下したからと言って、この結果は丸ごとサンプリング・エラーのなせる結果とも解釈されるため、ニュースにしてはいけない。誤差など、何の説明もつかず、中身はエンプティであるからだ。一口に言って、統計的誤差を中身のあるニュースであるかのように報道するマスメディア企業があるとすれば、それはズバリ<誤報>であると小生は断定したい。社会にはマイナスの価値しか提供していない。

× × ×

ただ、復興増税に反対する人が社会で増えているという変化は、小生には何となく分かるような気もする。これまでは被災地復興のためなら日本人として負担を増やすのは致し方あるまいと考えていたが、いざ実行しようという段階で、いややっぱり嫌だよ。そんな敵前逃亡的な卑怯な心情を普通の国民がもっているというのは、ちょっと理解しがたいのだな。そうではなく、この反応はこれまた<官僚政治>への反発なのではないかと思うのだ。半分以上の国民が支持をし、まだなお過半の回答者が支持すると回答している野田首相の理念が伝わってこないままで増税をする。実は、首相ではなく、顔も知らぬ、声も聞かぬ高級官僚の筋書きなのではないか?だとすると、官僚集団の意のままに、都合の良いように費消されてしまうのではないか?

こんな方向から、こんな視線でもって世論調査の数字の変化をみると、何となく分かるような気はするのだ ― それならそうと、もっと丁寧に解説するのが新聞社ってものでしょう、とは言いたいが。

本ブログで戦後日本を支えた官僚組織は、権力を執行する統治機構としては、国民の信を失っているのが実態ではないかと記したことがある。実際、大蔵省の流れを汲む財務省、通産省の流れを汲む経産省、いずれの大官庁も政治家のツールとしては有用なのだろうが、その官庁の暖簾を使って政治を進めるのは、もはや無理だ。官僚排除ではなく、政官対立でもなく、政治家が官僚を使う政治でなければ国民は拒否する。それが時代の流れだろうと思うのだ。とすれば、官僚の側にもとるべき姿勢がある。いわゆる<優秀な官僚>のモデルが激しく変容しつつある。そう思うのだ。官僚が政治家を使うシステムではなく、真の意味で政治家に仕える優秀な官僚が組織化されるまでは、<日本の夜明け>は来ないような気がする。

それまで優秀な人材と企業が海外に移転し、ジリジリと国力を失い、本能的に行政介入を強めるであろう日本が、どのくらいの時間持ちこたえられるか、分からないが。今週の週刊ダイヤモンドの特集テーマは「日本を見捨てる富裕層」。それから「富裕層に学べ、資産と家族の日本脱出法」、「あなたもできる海外移住」。いやはや、脱出と見るか、進出と見るかは後世の歴史家が判断すればいいことだが、大変な時代の変わり目であることに間違いはない。

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