2011年8月21日日曜日

日曜日の話し(8/21)

好きなBGMを流しながら好きな本を読むのは癒しの時間としては最高だ。絵を見るのにも、旅行をする時にも音楽があったほうがいい。それにしては美術館は、ただ混雑しており、あれは疲れる。

19世紀の最後の20年から20世紀の第一次世界大戦まで、長さであれば一つの同世代の人たちがそれを担ったとも思われるのだが、象徴主義は最も広く世に浸透した思想上の、また芸術上の立場の一つだった。

いま久しぶりに千住真理子の「夢のあとに」(フォーレ)をiPhoneで聴きながら仕事をしているのだが、前の壁面にどんな絵画作品があったらいいだろう、と。そういえば、象徴主義で最高の芸術分野とされたのは、文学でも宗教画でもなく音楽だったなあ、と。

何となしに象徴主義の巨匠モローが連想されたのですね。

Moreau, サロメ、1876年

時間的には、第1回印象派展が普仏戦争敗北後の1874年だから、活動時期としては重なっている。

◯◯主義、△△主義という風な言葉が出てくると、順番に世の中に登場して、それらが何かレベルの高さとか、完成度の順位のような受け取り方をされることが多いが、現実は色々な理念が雑居していた。

様々な思想や芸術は、どれが優れているとか、何がどれに先行しているとか、そんな編年体の発展史には当てはまらず、むしろ林や森の成長にも似て、ある種類の植物が増えたかと思うと、別の場所では別の種類が広がったりして、実は互いに何の関係もない、全く自由で独立した多種併存が世の現実なのだろう。そんな風にも思われるのだ。

モローは、マティスやルオーの先生で、弟子たちを自由に「放牧」していた由。先生というより親方というイメージであったそうだ。水やりの上手な造園師のように若い人達を伸ばしたのだろうねえ・・・そういえば幕末長州で松下村塾を開いた吉田松陰も弟子たちに何かを教えるような先生ではなかったらしい。「君ならどうする?」、「君ならどう考える?」と、繰り返しきいていたそうだ。ま、どんな育て方が優れているか、理論には全く興味がないが、結果として弟子を多く残し、その弟子が孫弟子を多く残していけば、その集団は結果として生き残り、歴史を形作っていく。そうして彼らの主義が世に広まって大集団となる。キリスト教も仏教もそんな風に浸透したのでしょう。

そういえば、子供なんて、いつの間にか育っていくからなあ。小生もダーウィンの思想には洗脳されているようだ。だとすると・・・「中央官庁の官僚が定める学習指導要領なんて、世の中に必要というか、あったほうが良いのだろうか?」。

飛行機のキャンセルで出張がダメになって、どうも調子が悪い。

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