2011年7月8日金曜日

Jin‐仁の哲学でドンキホーテ宰相を論ず

管総理による唐突な原発ストレステスト指示。地元自治体、知事会でぼろくそである。与党幹事長も「首相が何を考えているのか分からない」と発言したよし。とにかく、極めて評判が悪い。

評判が悪いのは当然でもある。

今になってストレステストなどと言うなら、何故に浜岡原発を停止させたときに言わなかったのか?

指示が遅くなった点は総理も謝罪している。しかし、必ず言わなければならなかった時に言わなかったのだから、今回の指示は確実に思いつきであろう。首相の言い分を認めるとしても、EUはストレステストを既にやっているのだから、いままで指示しなかった点こそ、酷い失政であるという結論になる。ま、どちらにせよ失政の限りを尽くしている。

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総理は、日本全国の自家発電量を総ざらいするように経産事務次官に指示したとのこと。報告された数字に納得せず、埋蔵電力量を全て活用する気構えである様子だ。どうやら、全ての原発停止状況に備えているようだ。

全てこれ、昨日の投稿でも触れた総理の政略に沿っているといえば、理にかなう。

ただ前原氏が指導者への意欲を持ち始めたと伝えられており、小沢グループ、鳩山グループも同氏を支持する方向で固まりつつあるとの報道だ。ほんとに、日本の政界事情こそ、誠のスパゲッティであります。

自然エネルギーを旗印に掲げた首相の抜刀突撃が成功するかどうか?成否は未だ見通せないが、風車に突撃したドン・キホーテは、サンチョ・パンサと二人きりだった。だから突撃できた。敵に突撃するときになって、周りの味方がワラワラと出てきて、前に立ちふさがれば、行動はできない。情景としては、月明かりの功山寺に挙兵しようと思う矢先、隊士たちが高杉晋作を取り囲んで、「辞めてくれ」と言うようなものだ。こうなりゃ、もうダメです。

しかし、落ち着いて3月以来のことを熟考してみると、もし福島原発事故がなかりせば、いま何が政策上の争点になっているだろうか?やはり、復興財源を増税に求めるか、国債増発に求めるか、ではあるまいか?それは原発事故収束よりも重要性が低い問題なのだろうか?いやいや、これまた大問題であって、原発事故がなかったとしても、未だに小田原評定を繰り返していたことであろう。

不幸にして、大地震と大津波は東北地方の社会インフラを破壊し、福島原発を破壊し、住民の暮らしを破壊した。政府の立場からみて、これらのどれがいま最も重要な最優先課題であるのか、わかる専門家はいない。言えることは、どれも解決しなければならない。放置すれば永遠に解決されず、日本社会が荒廃することが確実である。それだけだ。

菅総理は、特にエネルギー戦略の再構築こそ、いま現時点で行うべきことだ、そう考えているらしいのだが、小生、賛成したくなる気もあれば、しかし、「国民の暮らしが最も大事だろうが」と正しく正論で来られると、どう対抗すればよいか、返答に困るだろうなあ、とも思う。

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経済学者の野口悠紀雄氏や、人気の高いアマチュア歴史家井沢元彦氏がよく引き合いに出す社会の見方がある。トルストイ流の歴史主義である。

日本の近世は、織田信長が始め、豊臣秀吉が開き、徳川家康が完成したと言われる。常識ですよね。レバタラは歴史に無意味だが、仮に織田信長がいなかったら、秀吉がいなかったら、家康がいなかったら、誰も英雄がいないその時は別の歴史になっていたのだろうか?いや、歴史は変わりません。二人や三人の個人がいなかったとしても、歴史はみんなが知っている歴史と同じ歴史であったろう。これが歴史主義のエッセンスである。

仮にナポレオンがフランスに現れなくとも、その時は別の人物が現れて、ナポレオンの果たした役割を果たしただろう。もしその人が天才でなければ、何人もの凡人が試行錯誤をしながら、同じ課題に取り組んで、結局はフランスは今のようなフランスになったであろうし、その過程でやはりフランスは他の欧州諸国と戦争をしたはずだ。個々の戦争の勝敗は違った経路をたどったかもしれないが、歴史の流れは同じであったろう。こんな哲学がトルストイの「戦争と平和」の全編の底流として流れている。

人が歴史を作るのではなくて、歴史が人を作る。時代が求めている人物がやろうとすることが、結果としては選ばれて、現実の歴史になるという感覚。だから、信長がいなくとも、秀吉がいなくとも、家康がいなくとも、その時は同じ役割を果たす別の人間が出てきて、結局、同じことをしただろう。ま、こんな社会観ですね。何だか、先日まで放映されたTBSドラマ「Jin‐仁」のようでもある。

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前原氏は既存原発全面停止には極めて批判的である。同氏が日本のエネルギー戦略についてどんな構想を持っているか、小生は熟知していない。また、同氏が財政運営について、東北地方の復興について、どんな構想をもっているかも聞いたことはない。多分、いま考えていることだろうが、仮に同氏が権力を引き継いだとしても、それが時代の進む道と合致しないなら、必ず失敗する。政治家として成功する意志があるなら、支持率ではなく、時代が求めている方向を見る。これがたった一つの鍵だ。支持率は結果であって、目標でもなければ、信頼できる指標でもない。私はそう思うのですね。

管首相がいまやろうとしている戦略が、歴史的課題に沿っているのか?小生にはまだ明らかではない。だから夏が過ぎ去った後、誰が総理であるのか、皆目見当がつかない。しかし、菅首相が本気で追い求めている目的が、真に日本の歴史の進展にかなっているのであれば、政治的奇蹟が起こるだろう・・・奇蹟を起こすのに、十分な理解者がいるかどうかが心配ではあるけれど。

東日本大地震を経験した日本人なら、仮に政治的奇蹟が起こったとしても、一人として吃驚はしないだろう。

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