2011年7月31日日曜日

日曜日の話し(7/31)

大正期の日本社会に関心をもっている。明治から大正にかけて日本社会がくぐりぬけた価値尺度の転換とライフスタイルの激しい変化をもっと知りたい。それで文献を色々と漁っている。統計データになっていれば、もっと有り難い。

夏目漱石は明治末年から大正期初めにかけて、その晩年に作家活動をした。最後の大作「明暗」を読んでいると、労働運動や社会主義に向ける眼差しがほのかに伝わってくる。「吾輩は猫である」や「三四郎」のような瑞々しさとは何たる違い。そんな風にも思って、大正とは昭和へ転げ落ちる混乱の始まりと思っていたが、大正こそ近代日本国の思春期にあたる。そう思うようになった。

欧州から一世代は遅れているのかもしれない。

19世紀欧州の安定にとって普仏戦争とドイツ帝国の誕生は最初の弔鐘となった。それと前後して東洋から日本美術が流入し、埒外の美的表現がありうることを知った。美術革命は、1870年代から80年代にかけての印象主義が先ずリードしたが、続く後世代にとっても日本という国は夢の国のような存在であったと見える。「ゴッホの手紙」には日本の話しが何度登場することか。

小生、パソコンのデスクトップに、今はゴッホを使っている。


ゴッホ、夜のカフェテラス、1888年

ゴッホといえば「ひまわり」で、たとえば東京の損保ジャパン東郷青児美術館でも鑑賞することができるが、何となく上のカフェテラスが好きなのですね。ちなみにフランス、アルルにあるこのカフェは今でもゴッホが描いた時のままに営業しているらしい。

ゴッホの世代になると<写生>ではなく<表現>が主になってくる。表現とは、当然、心の表現のことである。規範を尊重する古典主義を否定し、自分の目に認識される色と形に忠実に美を創造することを良しとした印象主義は、結果として客観的存在を否定し、であるが故に、写実という観点から人間を解放した。


ルドン、パンドラ、1910年

19世紀末から20世紀初めにかけて、第一次世界大戦までの欧州は、象徴主義が時代の潮流になった。高階秀爾「フランス絵画史」には、
19世紀の思想界を支配してきた科学的実証主義に対する強い反対の機運とも大きく重なるものであろう。事実、現実世界を一つの実体としてではなく、人間の意識の中に生まれてきた「仮象」の世界であるとするショーペンハウエルの思想は当時の芸術家たちに好んで受け入れられていたし、科学的決定論に対して生涯激しい闘いを挑んだベルグソンが、その最初の記念すべき著書「意識の直接与件に関する試論」を発表するのは、まさに象徴主義の全盛期、1889年のことである。(335ページから引用)
こう述べられている。

人は、自分が解釈したいように世界を解釈するし、自分が生きるために便利なように人間世界を見るものだ。だから<世の実体>などというものを考えるのは無意味だ、とまでは言わないが、真理だと主張する権利は元々ないのだ。この割りきった哲学、かなり小生と波長があうのだ。

う~~ん、日本の大正期はもっと若く、理想主義的であったなあ・・・

それが何故に昭和軍国主義に落ちていったのか?すごく関心がある。
大体、軍国主義などというもの、日本国民の間に本当に存在した考え方なのか?
実は、官僚が勝手に唱えていた行政指導でしかなかったのではないか?

そんな印象もあるわけだが、これはまた、別稿で。

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