2011年6月27日月曜日

景気回復を妨げる原因があるとすれば・・・

少し日数がたって古くなったがイギリスの経済誌The Economistの6月11日号をパラパラめくっていた。"Sticky patch or meltdown?"という記事は、最近の景気停滞をどう考えればよいかを簡潔にまとめていた。

まず、いまの景気停滞が一時的であると考えられる根拠を三つあげている。

(1)日本の大震災と津波によって、製造業のサプライチェーンが世界規模で寸断されてしまった。しかし生産体制復旧のスピードは速く、例えば今夏のアメリカ自動車産業の生産計画を見ても、いずれGDP成長率が年率1%程度は上がる。

(2)需要が落ちた主因は、昨年末から春先にかけて急上昇した石油価格だ。石油価格の上昇は何より消費者心理を悪化させる。また、石油価格が急上昇すれば石油輸入国(高所得国)の購買力が石油輸出国(中低所得国)に移動してしまう。移動した購買力は、輸出国で何かに使われるわけではなく、そこで貯金されるだけだ。世界需要は、その分、落ちることになる。しかし、上昇した石油価格は足元では低下し始めている。

(3)経済成長のエンジンは新興国である。経済成長は需要の成長がなければ、生産の成長となって実現できない。その需要の成長は、いまは新興国の成長に依存している。しかし、新興国ではインフレが心配だ。中国の消費者物価は5月に前年比5.5%上昇となり、インドの卸売物価指数は前年より9.1%上昇している。そのため新興国の中央銀行はインフレ抑制を目的に金融引き締めを行ってきた。その効果が出始めてきたところだ。最近の世界経済停滞は、新興国のインフレ問題を緩和するので、むしろ新興国から見ると、経済運営がやりやすくなる。これ以上の金融引き締めは必要でないし、逆に緩和する余地が出てきた。そうすれば新興国の景気が拡大するだろう。

短期間の景気停滞は、新興国にとっては、むしろ渡りに舟で、有りがたいくらいのものなのだ。しかし、今後景気回復を妨げる原因になるかもしれない動きもある。

先進国はリーマン危機によるバランスシート不況の傷跡が治っていない。失われた富は余りにも大きい。こんな時、先進国では、財政健全化を求める声が強まっている。金融の量的緩和・国債買支え政策も終了しようとしている。ヨーロッパ中央銀行などは政策金利を引き上げようとさえしている。景気停滞の中で、いまやろうとしている財政金融政策を強行することは、先進国にとっては極めて危険だ。

アメリカでもヨーロッパでも(そして日本でも)、議論は経済分析に基づくものというより、財政運営に関する政治哲学の違い、哲学の違いに発する理念闘争になりつつある。歳出構造再検討を拒否するアメリカ民主党、増税に反対するアメリカ共和党、そしてどちらも嫌なTea Party。突然の歳出停止という事態も否定できない。これはリスクの増大だ。同じ兆候は欧州でも認められる。

The Economist誌の懸念は次の数行に尽くされている:
This dangerous political brinkmanship could also have a damaging effect by creating uncertainty. Companies are currently sitting on piles of cash because they are wondering how strong economic growth will be. Politics gives them more reason to sit on their hands rather than investing and hiring immediately, providing a boost the world economy sorely needs.

少々、脚色が入っている箇所があるが、大体、こんな内容だ。

全く同じ政治状況は日本でも見られる。特例公債法案が国会を通過するかどうかが心配されている。年金、国家公務員給与支払い、公共工事事業費支払い等々、支払い停止の事態がありうる段階にさしかかっている。トップがいて、いないような状況。外国と違うと言えば、日本には大きな政府にこだわる政党もなければ、小さな政府を主張する政党もない。あるのは、皆さんに損はさせないとオウムのように繰り返す弱体政党が二つ、三つ・・・・

政治家同士のチキンレース。破滅に向かう自動車にくくりつけられているのは国民である。

政治の機能不全による景気停滞においては、企業の資金繰りが悪化しているわけではない。企業の手元流動性はむしろ潤沢なのである。しかし、政治的混乱は将来予測を困難にする。不確実性を高める。そのことで様々の投資プロジェクトでウェイト&シー(wait and see)をとることになり、それが需要の成長を抑え、経済成長を妨げ、研究開発投資に影響し、最終的には長期的経済停滞を現実のものとするのである。

政治家のなすべきことは、単に自分の政治信条を盥の水の中にいる仲間同士で単純にぶつけあうことではない。競合相手が傷つくことは、自らの利益になるというような、そんなゼロサムゲーム的思考では政治にはならないのである。

公益の拡大をもたらすような政治活動が、政治の場で、つまり国会と首相官邸で実現されていて、はじめて代議制民主主義の存在価値があるのだ。それ自体に価値があるのではないことを改めて再確認しなければならないのではあるまいか?

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