2011年5月30日月曜日

自然エネルギーは原子力の代わりになりうるか?

5月もあと2日である。北海道では最高のシーズンがやって来るのだが、内地は梅雨になる。大震災被災地や放射性物質飛散の心配がたえない地域にいる人達は、まだなお「非日常」の暮らしが続いている。今年の夏はどんな夏になるだろう。

節電計画も、老朽化した発電設備の再稼働計画も、それらは当面必要なことではあるけれど、何より大事なことは今後のエネルギー計画を新しく作ることだ。ところが、将来のことはほとんど音なしの構え。東電の責任やら、賠償負担やら、要するに誰の財布で賠償を支払うかの責任の押しつけ合いになっている。そう思わざるを得ない体たらくぶりが続いている。

いずれにせよカネの話はしないといけない。最初からカネの話にならなかったのは幸いだ。しかし、結局、カネの話になっている。東電もカネを出したくない。国も、責任は認めるものの、カネはご勘弁という姿勢だ。関係者がこれでは、被害者は浮かばれない。どうしても後ろ向きの目線になる。これではいけない。

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週刊エコノミストの5月24日特大号は、<脱原発>がメインテーマだ。自然エネルギーを生かす道筋が解説されている。しっかりした本はいま出版に向けて準備中のはずだ。まずは経済週刊誌であらましを勉強しておくのが一番便利である。

小生もエネルギー産業については人並みの知識しかない。目からウロコの新情報が満載だったので、ここで整理しておきたい。

【1】現行計画と当面の代替エネルギー

2030年までに14基以上の原発施設を新設して、総電力に占める原子力の比率を50%にする。現行計画のこのロードマップは頓挫した。菅首相は「従来のエネルギー基本計画はいったん白紙に戻す」と明言した。先日は小泉元首相も講演の中で「原発を新設するのはもう不可能だ」と言い切ったよし。

言われてきたほど、原発は安全でも経済的でもない。まずは既存原発施設を総点検し、止めるべき原発を早急に仕分けするべきだ。環境エネルギー政策研究所の専門家はそう指摘している。問題は浜岡原発だけではないということ。

当面は天然ガス、石油のような化石燃料に依存せざるを得ない。シェールオイル革命、シェールガス革命のおかげで、非在来型の石油、ガス埋蔵量が確認された。そのおかげで、今世紀中は資源枯渇を心配する必要はなくなった。まずは天然ガスが当面最有望なエネルギー源になる。しかし、二酸化炭素排出問題があるので、ずっと天然ガスというわけにはいかない。

【2】自然エネルギーは原発を代替できるのか?

2020年時点で電力エネルギーに占める自然エネルギーの割合を3割、2050年には100%にすることは十分可能。環境エネルギー政策研究所ではそんな試算をしている。2020年時点での個々の自然エネルギーの割合は、水力13%、風力5%、太陽光7%、地熱2%、バイオマス3%になっている。原発を自然エネルギーに置き換えながら、一方ではオフィスビルを省エネルギー設計にする。それにより、2040年時点では、原発は全く不要になる、そんなシミュレーションをやっている。

【3】エネルギーコストは?

自然エネルギーは高コストだと指摘される。特に原発の低コストと比較されてきた。実際に事故が発生した時の被害額を考えれば、従来の原子力発電コストの積算は明らかに誤りだ。とはいえ、化石燃料の低コストとの比較は残る。自然エネルギーによる電源コストをみると、天然ガス6.2円(キロワット時当たり)に対して、水力が11.9円、風力(小中規模)が24円、風力(大規模)が14円、太陽光が49円になっている。水力は利用可能な残存資源に制約がある。風力のコストは安く、実際にデンマークでは電力の20%を風力でまかなっている。

更に小生は思うのだが、現時点のコスト積算は現時点の価格体系に基づいている。太陽光パネルは、今は非常に高価格だが、パネル生産コストの低下、エネルギー効率の向上は、今後劇的なものになると期待される。たとえば半導体、リチウム電池、薄型テレビ、デジタルカメラ等々の商品に見られたのとほぼ同様の傾向をたどるだろうと期待する。そのためには民間企業が自由な研究開発(R&D)を進め、低コストの電力を自由に販売できる発送電市場にしておくことが不可欠である。

【4】発送電分離について; 電力市場自由化について

そもそも発送電分離を含む電力市場自由化が、日本で議論されるようになったのは、90年代後半だ。円高もあって日本の電力価格が外国より割高になっていた。電力市場を自由化することで競争メカニズムを導入し、電力価格を下げよう、という産業界の希望が背景にあった。

95年12月に発電市場への新規参入、特定地域への電力供給が認められた。その後も電気事業法が逐次改正され、2000年には大口需要家への小売り解禁、2004年には小売り自由化の範囲が拡大された。2005年には契約電力が50キロワット以上の需要家に対して小売りを解禁。更に、2007年4月までには家庭まで含めた全面的な小売り解禁について検討する予定になっていた。日本でも電力市場自由化の歩みは、ノロノロとではあったが、進んできたのですね。

海外では電力自由化を早々に実行した。サッチャー改革でイギリスの国営電力会社は発送電分離された。その結果、ロンドンの電力はフランスから供給されるようになった。各国には<電力取引所>が創設され、安い電気から順に使われる状況になってきた。

ところが、2001年にカリフォルニア州で、2003年に北米大停電が起こった。行き過ぎた電力自由化への心配が強まった。そこで注目され始めたのがスマートグリッド。IT技術を応用することで、送配電を自動制御する。送配電技術の技術革新で電力自由化がもたらすウィークポイントを乗り越えようとしている。

このスマートグリッドに対して日本国内の電力会社は消極的な姿勢をとり続けてきた。

【5】各国それぞれのエネルギー政策

ヨーロッパはチェルノブイリ原発事故以来、原発拒否・自然エネルギー志向への心理が広まった。

オーストリアは、国民投票で原子力発電を廃止した。そのオーストリアは、エネルギーの中核をバイオマスでまかなっている。バイオマスの中の木質系バイオマスであり、具体的にはマキやチップ、ペレットだ。日本でもペレット・ストーブが販売されているので、馴染み深い人もいるだろう。

オーストリアには、バイオマスを燃やしているプラントが1550か所ある。発電を行っているプラントもあれば、地域暖房・温水供給など熱供給事業のみを行っているプラントもある。これを可能にしているのは、オーストリアの林業である。残廃材や建築廃材などをリサイクルさせることによって、化石燃料とほぼ同等のコストでエネルギーを得ている。もちろん燃焼機器の性能向上の効果もある。

実は、日本の森林だが、林業の生産低迷によって森林が過密化し、良質の建築材がとれなくなってきている。温暖化防止のため政策的に間伐が進められているが、伐り倒されたまま山に放置されている間伐材が、日本国内の木材生産量に匹敵するという。また、木材利用率は、森林の毎年の成長量のわずか2割にしかならず、オーストリアと同じ木質バイオマスを活用する余地は日本でも非常に大きい。小生思うに、この点は先ほどの環境エネルギー政策研究所のシミュレーションには織り込まれていないだろう。

風力となると、イギリスはドイツやスペインに比べて積極的ではなかった。しかし2000年以降、風力発電の設置場所を陸上から洋上に方向転換をしたことで、イギリスは今では世界最大の洋上風力発電設備保有国になっている。商業ベースで進められている営利事業である。

このように、各国それぞれ国情に合ったエネルギー政策を採用している。そんな中で、日本とフランスは原子力発電をコア・エネルギー源と位置付けてきたのであった。それは低コストであり、二酸化炭素排出量が小さいという二点が主たる理由だった。その理由の一つが間違っていたことが明らかになった。

日本が原子力を重要視してきたもう一つの理由は、原子炉製造など原子力関連産業の生産誘発効果が大きいという点もあったかもしれない。日本には原子力産業で技術的優位性があり、世界市場における価格支配力を有していた。端的にいえば、国として儲かる事業であったわけだ。身もふたもない話ではあるが、何をやって食っていくかという側面も大事だ。

自然エネルギー源の活用は、日本の産業構造の中でどのような意味を持つのか?私たちの生活水準はそれによって上がるのか、下がるのか?生活への満足度はどうなるか?海外との貿易構造はどう変わるのか?エネルギー源を転換することで、日本は何を得て、何を外国に譲るのか、こんな議論をしなければいけない。かつて石炭から石油へ、二度のオイルショックを経て石油から原子力へ、日本はエネルギーの柱を転換してきたが、その転換は生産者の観点から、利益の観点から、メリット・デメリットが分析されていた。

今回は生きている私たちはどんなエネルギーを欲しているのか?国民の観点から議論することも非常に重要ではないか?

確かに東電の損賠賠償負担、国の責任には決着をつけなければならない。しかし、どう枠組みを作ったとしても、いずれにせよ今後、津波のような訴訟案件の発生が確実である。責任と賠償は、裁判を通して結論が定まってくる問題だ。また手続きとしてはそうした道筋をとるべきだ。

いま政府として早急に検討するべきことは、日本の新エネルギー基本計画をできるだけ早期にまとめることであると思うのだが、どうだろう?

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