2011年4月19日火曜日

日本の所得力

大震災と津波、原発事故によって日本という国が大きな曲がり角を迎えている。もう何度も耳にする言葉だ。

「誠に残念ですが日本は貧しい国になるでしょう」

アメリカの経済学者がこんな認識を持っていると聴いて愕然とした人も多いと思う。

中国にGDPで追い越され、韓国製造業にも押しまくられている。そんな状況で大きなダメージを被ったのだからマイナス思考に陥るのも仕方がないとは言える。

しかし、過去の歴史においてどんな大帝国も国家も、あるいはどんな巨大なメガ企業も一直線に大きくなったわけではなく。紆余曲折を経ながら、上がったり下がったりしながら大きくなったことは誰でも知っている。時には亡国寸前までいった例は枚挙にいとまないし、それこそ国が一度亡くなって、何年もたってから再建されたことだってある。

下のグラフは世界経済のネタ帳に描画してもらった。

[世] 一人当たりの名目GDP(USドル)の推移(1980~2011年)の比較(日本、韓国、中国、アメリカ)

俗に先進国は一人当たりGDPが<4万ドルグループ>と呼ばれている。GDPはその国が創りだした価値だから生産力と言ってもよいし所得力とも言える。それを国際通貨であるドルで評価しているわけだ。国民一人当たりでどの位の価値を世界に提供しているかを上のグラフは表している。日本は1980年代末のバブル景気前後でアメリカを上回っていた。その後の低迷で水を開けられたが、最近はちょっと近づいている。これはアメリカ国民が使うドルが価値を失い、日本が使っている円が価値を上げている(=円高)ためだ。

韓国はいま2万ドルグループに属している。中国は5千ドルというレベルだ。一人当たりで比較すると中国は日本の10分の1程度の価値しか生み出していない。こんな風に表現すると実感とあわないかもしれないし、頑張っている中国の人たちの気持ちを逆なでする虞もある。それは十分承知している。

しかし企業の力は社員の自信とか、振る舞いとか、感性とは別に客観的な決算数値に顕れるものだ。へとへとに疲れていても、いやだからこそ、数字で測定してみると結構いい線をいっている。そんなことだってあるのだ。

テレビドラマの「Jin‐仁」ではないが、神は乗り越えられる試練だけを人に与える。危機を乗り越えられる十分な年収を持っているということだ。自信を失うことが、そのあと更に自信を失う原因になるってことだ。

もちろん中国は国土も広く、人口も日本の10倍だ。同じ所得力を得る頃には日本は中国の10分の1のGDPしかないという計算になる。しかし、そんなことを言えば功成り名を遂げた芸術家はもはや現役としてバリバリと作品を発表しないものだ。それでも分野分野の将来を見通し、新しい創造へのきっかけを与える刺激を提供している。パブリックな活動を展開する。それが価値の創造につながる。

GDPとは国内領土で作った価値のことだ。領土の外と内とを問わず、日本人が受け取る所得はGNPになる。GDPでは測れない、それ以外にやれることは沢山ある。それでやっていけるし、国際社会でも評価される。そのやり方を考えるのが国家の将来戦略ではないだろうか?

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以下、投稿後30分経過後に追加:

使ったグラフをドルベースだけにすると片手落ちかなあ・・・とも感じられる。それも一理あるので国際比較によく使う<購買力平価ベース>の一人当たりGDPも作っておくことにした。下がそのグラフだ。

[世] 一人当たりの購買力平価ベースのGDP(USドル)の推移(1980~2011年)の比較(日本、韓国、中国、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ)

アメリカの上昇が際立っているが、日、英、仏、独は概ねパラレルだ。韓国がこの三国とほぼ同じ水準に近付いている。中国は日・欧州グループの10分の1とまでは言えないが、5分の1程度か。

ま、このように図柄は少々違ったものになるが、上で述べたことの趣旨は伝わると思う。

もちろん上のグラフもGDPであってGNP、つまり国民が受け取った所得を表すものではない。GDPは国内で生まれた価値であって、それを所得としてどこの人が受け取るかはまた別の話である。GDPで見るときは、この点に注意をしないといけない。

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