2017年3月24日金曜日

つけたし: この1か月

依然として「森友騒動」が続いている。これが相当バカバカしいことは、もう本ブログで書き尽くし、あとは「水掛け論」が残るのみ、とりあげるのも時間の無駄である。「水掛け論」ではなく、少しでも内容があるとすれば籠池理事長側の公文書偽造。こちらは近日うちに刑事訴追されるだろうと推測する。さらにいえば、土地売買価格値引きの算定根拠があるくらいか・・・。

それにしても、大阪地方の小学校認可が1か月以上も日本中の電波、並びに国会審議をハイジャックするとは・・・。

このこと自体があまりにも可笑しいし、奇妙である。

ここに来て、駆け引きに疎い小生にもだんだんと分かってきた。これは真っ当な審議を回避したいと願う野党の国会戦術である、と。いや、与党側にとっても、議論を避けたい事柄がある。森友級のゴタゴタで会期を消化することは、国民にとっても言い訳がつくし、関心に応えることにもなる。

共謀罪法案が上程されれば、野党は反対しなければならない。しかし、世論調査によれば共謀罪に賛同する国民は50%を超える。
 時事通信が10~13日に実施した3月の世論調査によると、安倍内閣の支持率は前月比2.1ポイント減の51.3%だった。不支持率は1.8ポイント増の26.0%。学校法人「森友学園」が国有地を格安で取得していた問題が影響したとみられる。

共謀罪「必要性に疑念」=学者ら、法案に反対-東京
 「共謀罪」の構成要件を改め「テロ等準備罪」を創設する組織犯罪処罰法改正案を今国会に提出する政府方針について尋ねたところ、賛成が63.1%で、反対の20.0%を大きく上回った。ただ、同様の質問をした2月の調査と比べると、賛成は3.7ポイント低下した。
(出所)時事ドットコムニュース、2017年3月17日

 野党はここでも戦況不利である。まともに審議に応ずれば、野党の支持率は下がることはあっても、上がることはあるまい。

他方、南スーダンへのPKO派遣と戦闘行為の日報記載、その隠蔽については、国会でまともに審議すれば、こちらが本筋であるべきであるし、与党にはかなり痛いはずだ。稲田防衛相も辞任の可能性が高い。が、そうなればそうなったで、4月に閣僚の一部交代に踏み切るかもしれない。そして、それがそのまま衆議院解散の大義名分を与えることになるかもしれない。今の民進党はこれが怖いだろう。

野党が昭恵夫人に嚙みついて離さないのは、話せば与党ペースで押し切られ、そのまま解散。その場合は、民進党の蓮舫代表の二重国籍問題が再浮上するのは必至であり、そのまま大敗北と、そんな最悪の展開を阻止するための最後の機会であるからであろう。共産党は民進党の支持基盤を侵略したいのだろう。

あまりに長い間、もめ続ける問題でもないので、奇妙だと思い始める今日この頃である。

ま、それにしても仮にも首相夫人が表向きのことで国会証人喚問要求されるなど、戦後初めて、というより明治維新以来初めての珍事ではなかろうか。

2017年3月23日木曜日

感想: 制御不能の「水掛け論」もあるのだねえ・・・

本日は、WBC決勝、大相撲大阪場所、それから降ってわいたような森友騒動にかかわる籠池理事長の国会証人喚問の三つが重なり、どれもTV中継で視聴率が見込めるとあってマスコミ「現場」は「嬉しい悲鳴」をあげているという噂だ。

WBCと大相撲は(職業スポーツではあるが)純粋エンターテインメントに属すると言えるが、籠池理事長の証人喚問はエンターテインメント性とリアルな事件性と、それぞれどの位の割合の混合物であるのだろう。そんな風にも思われる特別番組ではあった。

ただ、密室で二人になった時をねらって渡された100万円の現金と、口外しないようにとの電話があとで夫人からあった、という証言。録音やら手跡やら何も残ってないなら、この話は典型的な「水掛け論」ではあるねえ。
「あなたくれたじゃないですか」、「何を言っているんですか、そんなことなかったでしょ」、「いいや、私は鮮明に記憶している」、「嘘を言わないでくださいヨ」。

さてさて、昭恵夫人まで証人喚問して第二幕を提供してくれるかどうか。やったって、まあ、上のやりとりがそのまま再現されるだけではあろうが。WBCも終わった。大阪場所も終わる。高校野球の春の選抜は今一つ盛り上がらない。TV局はこの話題をできるだけ引っ張りたいところだろう。

それに国会がどの程度まで答えるかだ。

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小生の上の愚息は熱烈な相撲ファンである。

NHKは証人喚問を終わりまで、Eテレは高校野球、その余波で大相撲が5時からの中継開始になってしまったと、嘆いていた。

国会・予算委員会という劇場で上演されているドタバタ劇よりは、ここ最近の大相撲の方がもっと緊迫感があり、かつ幅広い視聴者から希望されている番組であったのではなかろうか。少なくとも、小生は甚だバカバカしく、とても最後まで観る気にはならない内容であった。

もしも森友事件の登場人物に首相夫人の名前がなければ、大相撲を押しのけて中継されるようなイベントにはならなかったはずだ。

今回の騒動の(ある意味で)主役は「昭恵夫人」であると見る。

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ずっと以前の投稿から一貫して書いてきたことだが、安倍政権は(どことなく世間離れした印象のある)首相ご本人はともかく、取り巻きたちの偏向した思想・信条、低レベルな失言などが相次ぐことで、首相のイメージが毀損され、最終的な崩壊に(比較的短期間で)立ち至るであろう、と。そもそもの最初からそう予測していた。

それが案に相違して長期政権になっているのだが、ここに来て稲田朋美防衛大臣、それから何とご自身の細君までが、右翼がらみの失態を演じるとは。加えて、小池百合子現都知事もちょっと頭痛の種になっているでありましょう。どうやら首相ご本人は、「女性活躍推進」の旗手をつとめているにもかかわらず、よほど女性が鬼門である御仁のようである。

ま、最近のメディア好みのドタバタ劇が安倍現政権にとってどの程度までリアルな損害になってくるのか。まだ分かりませんが。

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まあ、これらすべて、トランプ米新政権がいまだ機能不全であるためだ。

何もリアルな衝撃となって、日本に投げかけられるものが出てきていない。

中国は党大会の年であり「内向き姿勢」。韓国もまた政治的に機能不全状態。ヨーロッパもまた選挙の年であり「内向き姿勢」。英国はEU離脱でそれどころではない。

加えて、世界経済は2015年~16年に進んだ石油等の国際商品価格暴落から回復し、明るい見通し。心配される状況ではない。

国際政治経済をみると、日本はいま何をしてもよい、というか宇宙遊泳に似た状態なのである。

このチャンスを生かしてロシア外交を大いに進めればいいのにと思うのだが、所詮、択捉や国後は日本国民の関心外と思われる。ロシアは共同経済活動にロシアの法律を適用すると主張しているが、このことを大きく報道したマスメディアは皆無である。瞬時のうちに話題から消え去った。

北海道で暮らしている人間の目からみると、いま日本は「鬼のいぬ間の 昼寝かな」、というより「嵐こぬ間の 鬼ごっこ」を楽しんでいるように見える、天下泰平の世の中でござります。

まこと目出度きことでござる。「小人閑居して不善を為す」の一例にならなければいいが。


2017年3月20日月曜日

感想: 「制御不能の勢い」というのはあるんだねえ・・・

先週、ちょっとしたヘルニアで腹腔鏡下手術をやって週末に退院して宅に戻った。

現代の医療は本当に素晴らしくなってきている。ずっと昔、父が亡くなった時にもこんな手術や薬剤が利用可能であったなら、と。そう思う。

で、日常が戻る中で、いつものように朝食をとりながら、カミさんが贔屓のTVワイドショーをみる。と、やっぱりやっているのですね。「森友事件」と「百条委員会」。

驚きを通り越して、呆然・慄然・憮然の世界となる。

自衛隊の文官統制は機能しているのか。いわゆるPKOと「駆け付け警護容認」、憲法上の規定は矛盾していないのか。現状のまま、自衛隊の「海外派兵」、いやいや「海外派遣」に予算を認め続けるのか。国会のこんな姿勢こそ、満州事変以降の日本の内閣と議会そのものではなかったのか。なぜそれを議論しないのか。

以前の投稿で「ワイドショーの国会ジャック」が起きているのか、「国会がワイドショーを方向づけているのか」。そんなことを書いたが、いずれにせよTV中継の対象である予算委員会とワイドショーがシンクロしているのである。

他方、TVとはあまり縁のない例えば法務委員会では「共謀罪法案」の扱いが検討されている。厚生労働委員会では「保育所問題」や「育児休業」が審議されている。TV中継される予算委員会以外の委員会では、総じて真剣な審議が行われている。そのことをTVはまったく見ようとしていない。

以前に、日本陸上の特に男子長距離界の弱体化が進んだことと箱根駅伝の視聴率の上昇トレンドとの間には、有意な因果関係を統計的に検出できるのではないかと書いたことがある。

同じように、予算委員会に偏重したTV中継と無責任な毎年度の予算編成との間には統計的に有意な関係が認められるのではないか、と。

そんな憶測をしている。

こう書いてくると、「TV中継」なるものが日本国民に何らかの価値を提供しているとは全く思われない。あえて言えば、TV局の番組編成局に所属する無学・無教養なプロデューサーの「見識」などは排して、多くの常任委員会・特別委員会をローテーション方式で機械的に中継していく方が国民への情報提供としては一層適切であり、国会全体の活動状況を正しく伝えることが可能で、また個人個人の国会への関心を刺激することにもつながるだろうし、そのためのルール作りを国会との間で取り決めるのが優先事項であると思うようになった。

つくづくそう思いながら、情けなきこと、涙こぼるる、と。そんな心持ちなのでござります。

それにしても、この一ヶ月。予算委員会は何をしてきたのだろうねえ・・・、「勢い」というやつか。ちょうど陸上競技のレーンは見えているのだが、勢いがつきすぎて「曲がれない〜〜っ」と。まあ、そんな感じであるのかもなあ・・・。


2017年3月13日月曜日

古い慣習の効用?

ちょっとした手術で入院することになった。それで提出する書類に記入をしたのだが、そこには色々な質問事項が並んでいる。

まずは医療費の負担責任者と保証人。これは(当然だが)小生本人が責任者で、愚息の一人を保証人にした。愚息の名を小生の必要から何かに使ったのは、実は今回が初めてだ。まあ、それだけ歳月がたったわけだ。今後はこういうことが増えることだろう。

「身の回りをする人」。これはカミさんにお願いしよう・・・

「家族構成について」。フムフム。同居する家族。これは今はもうカミさん一人しかいない、と。次に・・・別居する家族。ウン?二人の愚息は既に独立して別居している。「生計」をともにはしていない。つまり愚息といえども「別世帯」である。その場合、二人の愚息は「家族」の範疇に入るのか?ここでいう「家族」の定義とは何なのだ。この書類には「家族」の定義は記されていない・・・。

しばらく考えてから分かった。同じ「戸籍」に属している者は同じ「家族」である、と。『そうか!これは戸籍上の確認を問うておるのじゃな』と悟った次第。それならそうと、きちんと定義を書くべきなのにネエ。となると、福島県に居住する弟一家は小生の家族ではなく、生計は独立して暮らしているがまだ小生の戸籍にいる愚息二人は小生の家族となる。まさに明解で誤判定の余地はない。

ただ、何のために上の質問をしているのかという理由は不明のままであった。というのは、緊急時の連絡先として第1連絡先から第3連絡先まで別に質問しているからだ。

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とはいえ、

もし戸籍なる慣行が廃止されれば、独立して暮らしている愚息たちはもはや「家族」とは認識されなくなるー主観的には家族と思うが、「制度」としてどうかということだ。まあ、独立して別居している息子は、独身であっても、もう「家族」からは離れた。むしろこれが今では常識かもしれない。

「家族」とは何のために存在するのか?以前にも投稿したことがあるが、小生の理解はシンプルである。地縁・親族・姻族を柱とする大家族制から核家族制に移った社会においては、「家族」の存在理由は「子の養育」が目的であるとしか考えられない・・・ロジカルに考える時、何がほかに挙げられるだろうか。夫婦の愛を育むことだけが目的であれば、結婚という制度は不必要だ。相続などは遺言をかいておけばよい。

愚息は結婚をして、戸籍を別に作る時点において、小生とは別の「家族」となる。つまり愚息が子の養育を開始する意思決定をして、自らの家族をつくり始める時点が小生の家族から離れる時である。それは「核家族」であり、伝統的な「大家族」ではない。「核家族」という言葉の意味合いを社会学的な観点からつくづくと実感したのは初めてである。

そもそも戸籍は中国において徴税・徴兵など国家の人的資源をミクロ単位で捕捉する必要性から始まった。現在でも相続手続きにおいて権利確定のための固い情報を提供する。が、なければないで、他の行政ツールはある。実際、戸籍制度をまだ残している国は日本、韓国、台湾など極めて少数である。

それでも日本人の人生に大体は当てはまっているライフサイクルと現在の戸籍制度は案外マッチしているようでもある。

もちろん家族、というか親子関係で繋がっている一族の履歴をお上がずっと保管するというのも怖い。そんな感情があってもよい。負の側面もある ー どんな制度も国民すべてに適用するとなるとそうだ。遠距離から戸籍謄本をとるのも面倒だ。とはいえ、貴重なデータであることも確かだ。個人番号カードがあれば証明書をとるのも簡単になる。戸籍制度は面倒なものだと速断して廃止して困ることのほうが多いかもしれない。

2017年3月10日金曜日

大手メディア: 情報ダイジェスト機能を果たせているか

「情報」。

21世紀を特徴付けるキーワードとして何年か前に同僚と議論したことがある。

その時は、(DAIGOの流儀で言えば)"RE"、つまり宗教(Religion)と民族性(Ethnicity)を挙げたことを覚えている。その後、イスラム国(IS)の暴虐ぶりが報道され、やっぱりなと思ってきたが、上の三つに加えて「情報」というものを真剣に考えておかないと、未来がさっぱり見えてこない、と。そう思う今日この頃である。

フェースブックは、(投資先の一つでもあるので)これからも頑張って欲しい。フェークニュース(≒流言飛語)批判にどう対応するかで今は苦労しているようだが、未来の社会インフラを構築したいというZuckerbergの抱負は是非実現してほしい、と。本当にそう思う。

トランプ米大統領が既存大手メディアを(ほぼ毎日)厳しく批判しているが、その批判は100%政治戦略であると受け取るのは現実にそぐわない(ような気がする)。小生がアメリカに在住していたとして、トランプ候補に同調したかと言えばそれは違うような気もするが、確かに今の新聞やテレビ、ちょっと編集ぶりが酷いよね、と。これでは「情報ダイジェスト」にならないよね、と。世間をゆがんだ方向に誘導しているみたいだね、と。そんな感覚を覚えることは実際にままあって、ある意味ではアメリカ国民一般にあると言われる「メディア不信感情」を共有できている(ような気もするのだ)。


小生も、時代の流れには抵抗できず、いつのまにかFBのページ・フィードでフォロー中の報道を毎日何度かチェックし、それと併せてフォロー中のグループの投稿状況、それから知人達の近況をニュースフィードからざっと見る。そんな習慣になった。フォローしている先には、WSJも日経もCGTNもあるし、英紙"The Telegraph"も独紙"FAZ.NET"もある。さらに、世界中の散在している何人かの美術家も趣味として見ている。

FBにGoogle+が加わると、World Economic Forumや日本のNHK、朝日新聞社、The Economist、Zeit Onlineなどが入ってきて、併せて仕事に必要な"R"や"Python"のコミュニティの動向が次々に画面に表示されてくる。

投稿には、詳細な情報が記載されている資料へのURLが含まれていて、そこに入ると、さらに関連情報が表示されてくる・・・。という具合に、FBでなくともいいがSNSを使うと効率良く、バランス良く、情報を整理することができるのだ、な。どんな時事的なテーマについて、でもだ。しかも、付加機能が加速度的に向上しつつあり、5年先にはどんなサービスを提供してくれているのか想像もつかない(想像もつかないという点では、分野は違うがAmazonもそうだ)。未来の社会インフラを目指すというFBの戦略軸は大げさではないと思うのだ。


さて、日本国内のテレビでは(NHKニュースではなく、「ニュースもどき」の方だが)、この時期、東日本大震災に関係した話題が増えている。が、それより優先しているのが、まだ「森友事件」だ。ちなみにFBやGoogle+の投稿を概観すると、「森友事件」関係の情報はゼロではないが、内容相応の比率を占めるのみである。今日のテレビでは韓国の大統領弾劾判決は関心外。北朝鮮のミサイル4連発は何日か前にちょっと触れただけ。昨日登場したキム・ハンソルは今日は消えている。まあねえ・・・、何をどうするかはプロデューサーが決めるのだろう。

なお書きで付け足しておきたいのは、(不思議なことに)テレビで放映される国会・予算委員会の審議内容がテレビのワイドショーとシンクロしているようなのだ。これって、テレビ・ワイドショーの「国会ジャック」というべきか、「国会の堕落」というべきか。言葉を知らない。

それはさておき、

テレビでも何度か紹介されている問題。福島県から避難した児童が避難先でいじめにあっているという状況である。放置している学校側と黙って我慢している児童本人、気がつかなかった両親。たまたま見つけた作文で真相を知る。「いじめ」一般をとりあげる時の共通のフレームワークを今回も使っている。

ただカミさんとも話した。(小生も経験したことがあるが)転校生というのは一般に友人ができにくいものである。特に、方言が残っていて周囲の児童との異質性が目立ち、年齢的にも小学校上級生から中学生にさしかかる時期は、仲間になかなか入れないものである。

避難してきた児童と、その他一般の転入生とを比較して、確かに福島県から避難してきた児童は「いじめ」に遭いやすいという事実がデータから確認できれば、やはり日本の学校に、というか日本人全般の側に問題が隠れている。弱者に同情するのではなく、反対に虐めてしまうような傾向がある、と。そう言えるのだと思うが、ただ「福島県から避難した人で虐められている児童がいる」という事実を感情的に訴えるだけでは説得力に乏しい。そんな話をするとカミさんは憤慨していたが・・・。

上の問題は統計的には有意性とか、「サンプルセレクション」という問題に関連するのだが、この関連で言えば、以前に一度話題にした風評。たとえば『福島県では突然鼻血を出す人が増えている』という『美味しんぼ』がとりあげた「伝説」。あるいは『福島県の児童は確かに甲状腺癌発症率が高まっている』という風評。これらの話題も「非常に重要」といえばそのとおりであり、是非とも定期的に報道番組やその他ワイドショーで近況報告してほしい事柄である。

ところが、不思議なことに森友事件にはこれほど集中するのに、『科学的データでみる福島県の復興』などという特番はこれまで見たことがない。もちろん、医学的見地から直ちに結論が出るというわけでもない(参考資料)。とはいえ、ビッグデータの時代である。いじめ問題にしても、除染問題にしても、鼻血問題・甲状腺癌問題にしても、かなりのことは資金を投入すれば多くのことが分かるはずであるし、そもそも必要な数値データ、文字データ、画像データ、その他非構造化データはデータベース化されていなければならず、また可能な限りオープンデータにしておくべきでもある(小生が寡聞にして知らないだけかもしれないが)。『被災地で知りたいことがほとんどわからない状況になっている』、『これは東電の不作為なのか、政府の不作為なのか?』。これだけでも十分ワイドショーの話題になるはずではないか。多数の関心もあるはずだ。それをしないのは、する意思が既存大手メディアには(ほとんど?)ないことを意味する。


ハッキリとは分かっていないが、日本にとって「重要な話題」に、多くの人が関心をもつ、問題意識を持つように、いま分かっている情報を提供していく。メディアに期待されているとすれば、これも役割の一つ、というか最も重要な役割ではないか。

制作側の戦略的意図は分からないが、このところの"ニュースもどき”、いや厳密に言い換えると「△△ステーション」や「ニュース○○」、その他ワイドショーのように「ニュース+付加価値」で構成される番組がすべて該当するのだが、これらは明らかにフィクションやフェークニュースではない。かといって隠れた事実を取材して紹介するドキュメンタリー番組でもなく、明らかにニュース関連番組なのだが、素材を加工して「楽しませる」、「興味を刺激する」というサービスがついたハイブリッドな編成になっている。批判ではない。ただ、観ているとそう思うのだ、な。こう書くと「それが悪いのですか?」と聞かれそうだが、ザックリといえば「フェーク・ドラマ」になっているような印象を受けてしまうのだ。

確かに近年の視聴者はメディアからリアリティを求める。たとえばスポーツ中継。特に国際試合が高視聴率をとるのはそれが先ずドラマではなく現実であり、その現実をリアルタイムで観ることができる。それが陶酔感をもたらすコアである。スポーツ中継番組は、生のゲーム展開に加えて、解説や関係映像をパッケージングすることで、リアリティにドラマ性を付加している。付加というより強調・拡大し精神興奮作用を高めている。だから一層成功する。このところ(特に民放で)隆盛を極める"ニュースもどき"を支えている番組制作戦略に、スポーツ中継番組の編成技術が活用されていないと誰が断言できるだろう。

(これは誰でも同意すると思うが)スポーツ中継番組は決してスタジアムでみる「生のゲーム」そのものではない。「フェークニュース」とは逆の「フェークドラマ」である。だから(それを求める人にとっては)ゲームそのものよりも面白いのだ。


スポーツは(特にプロスポーツは)元々エンターテインメント産業なのだから、放送側がいいように加工してもよいのだとも言えるが、社会経済のあらゆる事実を素材として切り取って、自由にドラマ性を付加して、ニュースとして放送するビジネスモデルは、小生は(自主?)規制するべきだと思うようになった。

なぜなら、ネット化社会の中で自然に形成される情報の淘汰(=真偽や社会的重要性のスクリーニング)プロセスの中で、エンターテインメント性を帯びたメディア発の「お話し」は無視できないほどの影響力をもった参加者になるからであるし、現にもうなっている。

視聴率上昇には効果的な戦略かもしれないが、「情報」の提供になっているかどうかという点では、正直なところ疑問符をつけたいのだ。週刊誌のように自由市場で自由に営業するなら何の問題もないが、放送法で法的に保護された下では事実と虚構との間の厳格な線引きは曖昧にしてはならないと思う。

2017年3月8日水曜日

豊洲問題: あと2、3ヶ月で流れが変わるかもしれない・・・

この3日ほど風邪気味で寝込んでいたが、その間も世の中は「森友騒動」で国会もテレビのワイドショーも(この二つを横並びに列挙するのが気持ち悪いのだが)、こればかりを論じていたのだろうか。風邪をひいた分、穏やかに過ごせたかもしれない。

それから「石原元都知事百条委員会騒動」。これもどのくらい井戸端会議の話題になっているのだろうか。

どちらも人気はあるが、内実はほとんどないという意味では、突然出てきた某芸能事務所のアイドルとさほど異質性がないような気もする。

パフォーマンスの次元の話といえば、豊洲問題。久しぶりにネットを色々と見てみると、徐々に潮の流れが変わりつつあるようでもある。

詳細を書く元気はまだないが、ざっくりと言えば

  • 社会経済的なことを考え慣れている「いわゆる知識層?」は、小池現都知事のパフォーマンスには当初の期待から辟易に変わりつつある。
  • 井戸端専科というか(失礼を敢えておかせば)ローレベルの「庶民層?」は、以前の指導者をつるし上げることに喝采の声を発している。
  • 豊洲と築地の二つをデータに基づいて客観的に比較したものを示してほしいと言う希望がだんだんと広まりつつある。


どうやらこんなトレンドが生まれつつあるのではないか。第3点の浸透速度が今後の進展を決めるだろう。

ただ一点だけ分かっている。もし現都知事が選挙を目的とし、そのための戦略を実行しているのであれば、人数的に圧倒しているのはローエンドの有権者 ー これこそ「都民?」であるのかもしれない ー であろうから、現時点の行動戦略を変更する動機はない。

しかし、安倍現政権の支持基盤が右翼であり、特に極右勢力が無視し得ない大きさを有していることを思い起こすと、支持基盤の願望が自らの行動を束縛するリスクを考えるべきだろう。

普段の不満(ルサンチマン)を解消させてくれることが支持理由であるような有権者セグメントを吸収することが本当に賢明な戦略であるのか。

というか、そんな政治戦略はありうるのか?もちろんこれは反語的疑問文だが、これだけ書いて、あとはまた書こう。

ただ、こうやって書いて見て気がつくのは、小池現都知事が「都版トランプ」であるという点だ。都知事選は実に「ミニ米大統領選」であった。外観こそ違うが、生まれてきたメカニズムは同じであり、いま世界の政治情勢に作用しつつある共通の社会的因子から派生している。そんな現象の一例であると思われる。

2017年3月6日月曜日

1ポイントメモ: 総理夫人は「私人」か「公人」か?

表題をめぐってバカバカしく無意味な論争がTV画面でまだ続いている。
私人に決まっているでしょ。公人なら辞令を交付されているはずだ。そこには担当職務が明記されている。権限も付随する。 
芸能人も広く世間に知られていて、その意味で「公人」とされています。であれば、首相夫人も公人であるとも言えますね・・・誰かが言っていたが、それを言うなら「有名人」だ。
この間はパネルに書かれていた「遡る(サカノボル)」の漢字を「タドル」と読んだ女子アナがいたが、今度は「有名人」と「公人」の区別もつかないのか・・・既存メディアのレベル低下は予想以上である。